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生物学の世界観№1 エネルギー問題
最近エネルギー問題が大きな話題になっている。エネルギー問題と言うと、すぐに省エネ、省エネとなるが、どうも問題は、それだけにとどまらないと思うようになってきた。生物の教員をしているせいもあって、すぐに生物学の分野と結びつけようとする、悪い癖があって、今回もエネルギーの問題を生物学と目一杯結びつけて考えてみた。一風変わった展開になったかもしれない。こんな考え方もできるのかと感じて頂ければ幸いである。 1、物質の循環とエネルギーの流れ。 まるで高校の生物の教科書のタイトルのような項目であるが、これから論理を展開するに当たって、どうしても必要なのでがまんして読んでもらいたい。 この地球上の生物は全て単独では生活できず、他の生物との関わりの中で生きている。ある一定地域に住む全生物を生物群集と呼び、その地域の全環境と生物群集を全て含めたものを生態系と呼ぶことになっている。この生態系を研究する学問が生態学でエコロジーともいう。この生態系の中では生物と環境、生物と生物の間で相互に影響を及ぼし合っており、一部に変化が起こると、その影響が全体に波及していくことになる。これらの相互の影響の中で重要なものが、物質の循環とエネルギーの流れである。例えば、我々が呼吸によって排出している二酸化炭素は大気中に放出されたあと植物に吸収され、光合成の作用によって有機物になる。有機物とは炭素を主体とした複雑な物質であるから、我々が排出した二酸化炭素の中の炭素元素が有機物の原料になったことになる。 これらの有機物は牛や馬、イナゴなどの草食動物に食べられて、それらの動物の体を作る材料として使われる。だから、牛肉には我々が排出した炭素元素が含まれていることになり、やがてヒトが牛肉を食べれば、ヒトから出た炭素元素がヒトに戻って来たことになるのである。実際には生態系での物質の循環は、もっと複雑で多くの枝分かれをし、環境ともやりとり(火山などで二酸化炭素が噴出したり、鉄が錆びるのに使われたり。)しているが、基本的には生態系の中の生物と環境の間で同じ物質がぐるぐる回っていると考えてよい。 炭素をはじめとして、チッ素、リン、カリウム、酸素、水などあらゆる物質が同じような仕組みで生態系の中を循環するのに対して、これから問題にしようとするエネルギーは少し違っている。エネルギーも同じように生物から生物へ移動していくが、この間に次第にロスが出て、最終的には生物の利用できない形に変わってしまうのである。もう少し話を具体的にしてみよう。地球上に常にエネルギーを供給しているのは太陽からの光である。エネルギーは、状況によって形が変化し、別の形のエネルギーになる。これがエネルギーの持っている性質である。太陽からのエネルギーは地面に当たると、光エネルギーから熱エネルギーに変化して地面を温める、熱エネルギーは水を蒸発させ上空へと運び上げて位置エネルギーに変化するといった具合にである。このように考えると、火山の噴火、温泉、地殻変動など太陽からのエネルギーによっていることがわかる。 生命現象も例外ではない。全ての生命現象のもとは太陽からの光エネルギーである。緑色植物に光が当たると、植物はそのエネルギー利用して有機物を合成する。これが光合成であるが、エネルギーの面から見ると光エネルギーを化学エネルギーに変化させるはたらきであると言うことができる。無機物と比べると有機物の中には大量の化学エネルギーが含まれており、そのおおもとは太陽からの光エネルギーであるからである。動物が生命活動に利用できるエネルギーは、植物が合成した有機物中の化学エネルギーだけだから、地球上の全ての生物の生命活動のエネルギーの源は太陽からのエネルギーであることになる。つまり、草食動物が草を食べる時、物質を食べると同時に、その中に含まれるエネルギーをも食べているわけである。別の見方をすれば、動物が石や土を食べて生きて行くことができないのは、その中に利用可能なエネルギーを含んでいないためということである。植物はエサを取るのに歩き回ることがない、従って生活に必要なエネルーは少なくて済み、比較的狭い範囲の太陽エネルギーを独占すれば生きていくことができる。 草食動物になるとエサをあさって歩き回ったり、肉食動物から逃げたりしなくてはならず、生活に必要なエネルギーは植物よりもはるかに大きなものになる。したがって、植物よりもはるかに広い面積に降り注ぐ太陽のエネルギーを独占しないと生きていけないことになってくる。草食動物を食べる肉食動物になると事態はもっと深刻で、エサである草食動物そのものが逃げ回り、それを捕らえるだけで莫大なエネルギーを消費してしまう。肉食動物が生きていくには、非常に広い面積を独占し、そこに降り注ぐ太陽からのエネルギーを他の肉食動物からっていく必要があるのである。エネルギーは物質と違って、形が変化したり、移動したりする時に必ずロスが出る。植物から草食動物、更に肉食動物へと移動していく間につぎつぎにロスがでて、最終的には無くなってしまうのが特徴である。太陽から常にエネルギーが補給されているおかげで、地球上の生物が生きて行くことが出来、太陽からのエネシルギーが途絶えれば、全ての生物は死滅してしまうのである。 2、生物の数とエネルギー 全ての生物が太陽からのエネルギーを元に生活をしているという話はすでにした。今度はそのエネルギーと生物の数(量)との関係である。一定の面積に降り注ぐ太陽のエネルギーは、ほぼ一定である。従って、そこに住むことのできる生物の数も一定の筈である。実際に調べてみれば分かる通り、ある地域の生物の数は、植物が最も多く、次いで草食動物、小型の肉食動物、大型の肉食動物の順に少なくなっている。これは、常に一定ということではなく、様々に変動しながら、ある幅を持って一定ということである。何らかの原因で肉食の動物の数が増えれば、それがエサとしている草食動物が多く食べられることになり、草食動物の数が減ってしまう。そうなれば、エサが減ってしまうので肉食動物も減っていくことになり、全体としてバランスが保たれることになる。もしも、ある種類の肉食動物の数が増え、その数を維持しているとすれば、他の種類の肉食動物(エサを同じとする)の数が減っているはずである。 一定面積に降り注ぐエネルギーが一定である以上、特定の生物の増加は他の生物のエネルギーを横取りすることによってしか達成できないからである。こうして見ると、生物の活動とは太陽エネルギーを集める活動として見ることができる。太陽エネルギーをできるだけ多く、効率よく集めることができた生物が、より多くの子孫を残すことができ、効率が悪く少しのエネルギーしか集められない生物の子孫は、次第に数を減らして、ついには絶滅していくのである。 ヒトも今まで述べた法則からはずれて生活することはできない。当然、一定面積で養い得るヒトの数には限度があるということである。ヒトはその持っている特性から、エネルギーを効率よく集め、子孫の数を増やすことに成功してきた。しかし、いくら効率よく集めると言っても、おのずから限界がある。ヒトの最初の生活は狩猟採集によってまかなわれていたであろうが、この方法は他の生物の存在を許し、共存を前提とした方法である。森になる木の実はヒトも食べるが、昆虫や鳥や猿も食べてしまう。つまり、太陽のエネルギーを分け合って生きていく方法である。ヒトの数が増え、これ以上の人数を養うことが不可能となった時、ヒトが編み出した方法が農業である。これは、ヒトの役に立つ生物以外の生存を一切許さない、という徹底した太陽エネルギー独占計画とでも言うべき方法で、森林の木を切り(木は太陽エネルギーを吸収してしまう)、雑草を引き抜き、草食動物を追い払い、ともかく、そこに降り注ぐエネルギーは全て作物に吸収させて実らせ、すべてヒトが収穫しようとするものである。もちろん、他の生物もそのまま黙って見ている手は無いから、ちょっとした油断に付け込んで、太陽のエネルギーを取り戻しにくる。雑草が生えたり、イナゴが来たり、スズメが飛んで来たりという具合にである。 この結果、農業を始めたヒトは、狩猟採集の生活の時には想像もつかない程のエネルギーを、他の侵入を図る生物との闘いにそそぎこむことになった。アフリカなどの熱帯雨林に暮らす同じ民族の中で、狩猟採集を続ける一族と、農業を始めた一族を比べてみると、狩猟採集を続けている一族では、日中は殆ど昼寝やおしゃべりで費やし、朝、夕の短い時間だけ狩猟採集を行うのに対し、農業を始めた一族は、朝早くから起きて働き、草取り、農具の手入れ、取り入れなど、子供も動員して一日ぢゅう働き続けるという。太陽エネルギー独占計画が、いかに莫大なエネルギーを要するかが分かる。 農業以外の太陽エネルギー独占計画には、牧畜があげられる。これも、農業程ではないにしろ牧草以外の植物を閉め出し、家畜以外の草食動物を追い払い、家畜を狙う肉食動物をやっつけるという方法である。牧畜は動物を養うという点で農業に比べるとはるかに広い面積を必要としたし、したがってヒトの防衛線は他の肉食動物によって、ししば破られた。オオカミがヨーロッパでああまで憎しみを持って語られるのは、度重なる防衛線の突破に対する怒りの結果である。 農業と牧畜、この2つのエネルギー独占計画によって、ヒトは狩猟採集の頃とは比較にならない程に多くの子孫を残し、その数を増やし続けることができた。 # by alfazett | 2009-09-12 10:19
科学者と作曲家とは全く別の分野で仕事をし、両者には殆ど無関係のように思われるが科学者とそれに関連する技術者との関係が、音楽界における作曲者と演奏者との関係に似通っているように思えるのでその共通点を述べてみたい。
科学者といわれる人々はその科学的発想に従い、物理化学の原則や理論を追及しその体系組み立ててゆく役割を持っていて、今日まで多くの理論や体系を作り上げてきた。例えばニュートンにより慣性の法則が発見され同時に永久運動が否定され結果として工業でこの原理に従い多くの機械が技術者によって設計され製作されてきた。同様にマックスウエルの電磁理論とフレミングの電磁作用の法則に基づき電気機械やエレクトロニックス製品作られてきた。これは科学者と技術者の連携によってその原理が具体化されたものであり、その系列は今日まで守られてきている。つまり科学者は原理原則を作り上げてもそれを具体化する技術者がいなければ社会への貢献はできなかったであろう。 他方音楽の世界ではクラシック音楽に限ってもバッハ、モーツアルト、ベートーベンのような作曲家が現れ、メロデイーや和声、楽器の編成法や楽章の組み立て等を確立し西洋音楽の近代的基礎を築いてきた。そして彼等は主として曲を作ることに専念したが、実は優れた楽器と演奏家がいて初めてその音楽が完成する。例えば優れた演奏家カザルスなしは大公トリオもチェロソナタも堪能できないのに似ている。 以上から科学者と技術者の関係は作曲者と演奏者に似ていて其の協調の上に成り立っている。このような関係は演劇の脚本と役者の間柄にも似ているが、「科学者と作曲家」「技術者と演奏家」の関係の方がより近く思えてならない。2009/8/12」 # by alfazett | 2009-08-13 09:54
我が家の屋根が銅板でできているので、雨の夜等は、枕元でばたばたと雨音が聞こえてくる。しかし、私は雨音は気にならないどころか雨音は大好きで、ゆっく眠れるから不思議だ。それと反対に、玄関先の道端で、誰かがひそひそ夜分に話をやっていたりすると、それが気になって、なかなか寝付かなくなってしまう。
朝方、枕元で小鳥がちゅっつ、チユッツというのを聞くと、思わず、小鳥さんお早う!と独り言をつぶやいている自分にきがつく。春先と、秋にそんな事が度々ある。小鳥さん元気に育ってくれよ!とその日は一日幸せは気持ちになってしまう。 テレビをかけていても、何か考え始めると、いつの間にか全くテレビは聞いていないで、いつの間にか犯人は捕まって、ストーリーは終わっていたりする。散歩道 # by alfazett | 2009-08-01 16:22
古池や蛙飛び込む 水の音、岩に沁み入る水の音 などという有名は俳句は、人間の感性の凄さを再確認させてくれる。それにたいして、次から次と 「何番線車が参ります。下がってーーー、下がって下さい。ドアがしまります。発車します。ドアがしまります。「何番線、車が参ります。黄色の線より下がってーーー」などなど
酷いのになると、変な訛りとアクセントで目立つ、いや耳立つようにアナウンスする特定の人物が新宿にいる。どこかの新聞の無邪気、いや、無神経な記者が、目立っていいと褒めたものだから、得意になって変なアクセントでやるから、それが気になって、他のアナウンスが聞こえない、非常に危険な騒音だ。 人間の感性は、音が何デシベルだから、うるさいとか、それが半分だからという物理的な量では、簡単に割り切れないことを、もう少し認識してほしい。人間の感性は、関心と興味があったり、危険を感じたりすると、同じ音量で何万倍にも感度が鋭くなるのである。 一見乱暴で、ザックバランの本田宗一郎さんは、実はものすごい繊細な神経を持って居られたことを知る人は少ない。そうでなければあれだけ大きな会社は出来なかった。接した人は、本田さんのきめ細かい配慮に感動して頑張ったからこそ、今日の本田があるのだ。散歩道 # by alfazett | 2009-08-01 16:17
本当の本』会で澤田さんが提起したハイブリッド車のエンジン ”音の静か過ぎ” に関する問題。スタート時とか、歩行者と車の共存の場合にの音が静か過ぎて、危険だという議論。何か音を出す仕組みをつけようという
運輸省も含めての議論は根本的におかしいという趣旨の議論である。 私は昔、スカイライン、グローリアでドイツのベンツ並みに車内で時計の音が聞こえるというベンツ並みに騒音を減らす研究に従事した事を思い出した。この時も、車の騒音が小さくなり過ぎた時に、車にスピーカーをつけて、もしもし、車ですよ!とやるか、等と半ば笑い話で議論した事がある。結局、結論は静か過ぎて悪いことはない、音を出して、歩行者に注意するのは本末転倒の議論。”人を音で脅かしてよけさせる発想がもってのほか”という結論になった。 自動車の騒音と、危険がどれほど人間の感性を痛めているかを、改めて考える必要がある。歩行者天国の安心感。ぎすぎすする人間関係も自動車の騒音と、危険運転が大いに関係している。 技術が発達した事を誇る前に、人間の心に恐怖感を与えない仕組みを研究・開発すべきだと思う。 音の問題と人間の感性との関係をシリーズで論じて見たいと思う。2009.7.29.散歩道 # by alfazett | 2009-07-29 19:58
![]() Weblog / 2009年07月18日 橋爪大三郎著 ちくま文庫 2006年 ¥780 著者は東京工業大学世界文明センター副センター長を務める社会学者。本書はその大学での講義「宗教社会学」の教科書として書かれ、2001年にハードカバーとして出版された本の文庫版である。著者があとがきで述べているように、90分×10回の講義で世界中の宗教を網羅するのは至難の業であり、その講義のための教科書として書かれただけあって、各宗教および宗教類似のシステムを要領よく解説している。また、宗教自体に留まらず、宗教と社会との関連も解説している。本書を読んで、キリスト教が韓国で広まりなぜ日本では広まらぬか、中国でなぜ共産党の官僚政治が成立したか理解できた。「宗教はアヘンなり」と決め付けたマルクス・レーニン主義は、実はロシア正教の伝統を受け継ぎ、教会そっくりの組織を作った由。 日本語の神と英語のGodの違い、神との契約の概念、意味の異なる三種類の愛など、これまで知らなかったことを数多く教わった。本書が指摘する通り、私自身も含め日本人はおしなべて宗教音痴であると感じた。宗教に無知であると、それの上に成り立つ社会も文化も理解しがたい。分かったつもりが実は誤解や表面的理解である可能性が高い。 本書を読み終えて日本の宗教的基盤は何かと考えた。仏教も江戸幕府に取り込まれ形骸化してしまった。儒教も上面を取り入れただけで社会体制の基盤とは言えない。宗教が発生した厳しい自然環境に比べれば、緑豊かな日本列島はエデンの園にも似た楽園ではあるまいか?つまり、この地では宗教音痴でも安楽に暮らせるのであろう。しかし、信心不信人は別として、宗教に関する知識は教養の一環として不可欠と思う。本書はコンパクトでありながら豊富な知識を与えてくれる好著である。 # by alfazett | 2009-07-19 21:12
2009年07月18日
日本でも民間放送が出来て受信料を支払わずに民間の放送やテレビを受信できるようになったが、この民放の主な収入源であるコマーシャルも時代と共に内容も充実して、企業だけでなく公共機関もこれを利用するまでになっている。 今から10か20年位前まではコマーシャルが写されるのは、番組の終わりか初めで、途中に入れるときは話題が変わるときの合間に写される程度であった。しかし最近のテレビのコマーシャルの入れ方はひどい。例えば真剣になって物語を見て大事な告白しようとする時、あるいは手に汗を握るようなスポーツ番組の劇的なシーンが行われようとする時、突然「この続きはコマーシャルの後で・・」と場面が現実のかえることが多くなっている。多くの視聴者はがっくりでチャンネルを変えてり、スイッチオフにしてしまうであろう。「ひどい割り込みをするこの企業はどこだ!もうXX生命は絶対に使わないぞ!」と怒っているのは私だけではあるまい。 これこそ負のコマーシャルである。依頼した広告主はどのような番組にどんなタイミングで挿入されているかを知らずに居るのであろうか。テレビ鑑賞でも音楽会でも一つのムードに溶け込んでいるときに突然の中断は主催者の品格に関わる問題である。もし音楽界でムードある雰囲気に浸っているとき突如中断、コマーシャルをいれたら大ブーイングが起きるであろう。企業も売り上げの減るようなコマーシャルの入れ方は即刻中止すべきである。 「2009/07/15」 # by alfazett | 2009-07-18 22:39
庭の畑でポチが啼く、正直爺さん掘ったらば、大判小判がザック、ザック、ザックザク。
これを見ていた年金保険やさん。ポチを借りて掘ったらば、隠した記録がザック、ザック、ザックザク 有ろうことか、この役人、慌ててこれを埋めたよ。それからポチを蹴とばした。 ポチはケンケン、ホケホケ、ホケン 何度も何度も啼きました。散歩道 # by alfazett | 2008-05-17 18:03
ブッシュという人が教会で熱心にお祈りをしていると、神様の声が聞こえて来た。
神様:あなたは熱心に貴方の定義にしたがって”テロ”と闘ってきた。ご褒美に天国に行けるようにしてあげましょう。 ブッシュなる人:有難うございます。 喜び勇んで天国に行ったブッシュ君。だが、天国では皆んな平安に仲良く暮らしていて ”テロ”はいない。、ブッシュ君、結局は失業して、地獄に仕事を探しに行ったとさ。/font> 散歩道 # by alfazett | 2008-05-17 10:08
あの世で信長・秀吉・家康の三人の会談が行われた。3人の会話をインターネットで傍受しました。
信長:秀吉君、君は本能寺の変では随分早く俺を助けに来たのだが、明智と裏で組んでいたといううわさもあるぞ! 秀吉:とんでもありません。私は草履を温めて以来、ずっとあなた様の忠実な子分です。ところで、家康さん、俺が死んでからの慇懃無礼な天下取りは気に食わんな。情報は入っているんだぞ! 家康:いやいやどうも恐れ入りました。しかし“徳川時代のしぐさ”等という本でわかるように、徳川時代は平和な良い時代で、その基本は私めが確立致したものでございます。どうぞお手柔らかに。私の孫の孫の孫のーーー慶喜君は明治にやられてしまいました。そして、大正・昭和となって経営に失敗してアメリカに乗っ取られてしいましたね!経営には色んな事があるものです。 信長:今の日本政府はなっとらん。そうだ。俺達三人で信秀家党というのを結成しないか。次の選挙できっと過半巣をとれるぞ! 秀吉:その時、総理大臣は誰にしましょう? 家康:徳川三百年の基礎を作った実績のある私にやらせて下さい。 信長:混乱の時代を開拓したのは俺だ。俺に任せろ。シーーーン 秀吉君、君は馬鹿に静かだね!どうした。ーーーー 秀吉:私はだめなんです。 他の二人:どうしてだ 秀吉:現代の人は靴を履いて、草履を履かないので、出世の方法がないんです! # by alfazett | 2008-05-17 10:01
先に「米原万里」の著作を何編か紹介した。その後、必笑小咄のテクニックjという著書を買い求めた。駄じゃれよりは、少しはましな面白い話の参考書と思って購入した。ところが、これまた、レベルの高い”人間の心の基本””世界の政治家の考え方など、彼女の世界的レベルの人たちとの交流から生まれた著書であった。
それには、とても及ばないが、著書からのヒントで、早速2,3の小咄を試作した。感想をお聞かせください。 A:ブッシュという人が教会で熱心にお祈りをしていると、神様の声が聞こえて来た。 神様:あなたは熱心に貴方の定義にしたがって”テロ”と闘ってきた。ご褒美に天国に行けるようにしてあげましょう。 ブッシュなる人:有難うございます。 神様:但し一つだけ断っておきます。天国では皆平安に仲良く暮らしているので”テロ”はいない。そこで汝は失業することになる。それは、私の責任ではない。 B: 神様:生まれ代わったらだれになるか、願いを叶えて上げましょう。ただし、どちらかを必ず採らなければなりません。また一度決めたら変更はできません! また、初めから、何の願いもない場合には、今、願いなしと宣言しなさい。 ブッシュなる人:是非お願いします。 神様:では、選択の問題を出します。 1.サダム・フセイン 2.初めを取らなかったら、二番目は誰かを示します。 ブッシュなる人:相当長く考えて、小さな声でフセインと言ったように聞こえた。 しかし、又考えて、最後に ”その人にはなりません”と答えた。 神様:では、次を言います。 フセイン時代にイラク市に住んでいた平凡な一人の市民。ーーーではこれから時代とあなたを変身させます! 散歩道 # by alfazett | 2008-05-15 14:04
![]() 著者:米原万理 発行:文芸春秋 2003年6月第1版 2007年4月第11版 定価:562円 著者はゴルバチョフの通訳をはじめ、重要な国際会議の同時通訳として活躍された超一流の通訳者。50歳代に入って文筆家としても活動を始めた。国際的に活動した生きた経験をもとに、異文化論を展開している。剛速球の批評を投げるが、人間に対する興味と優しさがあって、ダジャレと魅力あるユーモアを感じさせる凄いパーソナリティーの持ち主である。 この本の表題からは、どぎつい、そして、ちょっと下ネタ的な話と思わせるが、どうしてどうして、凄いレベルの哲学と、ユーモアが混然一体、いや、婚前一体となって楽しませてくれる。 同時通訳の米原です。はい、ドジ通訳です。聞き手の事を考えて通訳する例として、原発言者が「四肢」と言ったら、聞き手が幼稚園児なら、「お手てとあんよ」、中学生なら「手足」 イタリアのテレビ局では、主語が私とか僕の様な第一人称の場合には、「来る」という意味を訳すときには venire(英語の come) は絶対に使わない。「arrivare( 英語のarrive) を使う。 たとえば、アメリカ大統領が 「私は、貴国にまいります」 というのを venire と訳してしまうと 「米大統領いわく、僕はイクからね」 となって大変困るからだ。 「イク」の話だけでも面白いが、国際通訳では、そうやったら大変な国際問題にすらなってしまうという 「面白い話と、考えさせられる話」。 痛快な話が満載されていて 562円とは安い。 是非、購入してお読みくださることをお勧めします。散歩道 # by alfazett | 2008-05-07 19:32
史上最強のグルメガイド 著者:西原理恵子神足祐司 発行:朝日新聞社 定価:700円最近グルメガイドとして知られるミシュランが日本のレストランの評価を発表して、物議をかもしている。日本では高く評価されているレストランが星ひとつだったり、わずかな調査員が試食に現場訪問をしただけで適当に星数をつけているとか、知名度を利用して、御馳走して貰っていい点をつけたのじゃないか、などなど、にぎやかだ。 そこで、今となってはちょっと古いほんのだが、1992ねんから93年にかけて週刊朝日に連載されたミシュランを皮肉った面白い、めっぽうに面白い、この本をご紹介したい。 当時怖いものなしの人気マンガ家と気鋭のこらむにすとがグルメ絶賛の名レストランに乗り込んで、言いたい放題本音を吐いたきじである。有名気取りのレストランで、実は全くおいしくないのに、心にもなくお世辞をいったりした苦い経験を持ったしとたちの支持を得て、この当時絶賛をうけてベストセラーになった本である。 ほんの一例:銀座のマキシム・ド・パリ 日本で初めてフランス人シェフを招いて開いたという権威のフランス料理屋屋。まず御婦人用メニューには料金が書いてない。男女の潜水艦ゲーム。彼女は気安くいう。「フォアグラにしようかしら」男は手元で男子用のメニューで値段をみると5千五百円。「あら、キャビアもあるわね」合計1万5千円。轟沈!といった具合に書かれている。 このころテレビで大騒ぎされた「春木屋」 おいしいという想像力をかき立てるのは数十分も待たせる行列。 残念なのは、この本は今は購入しにくいかもしれない。散歩道 # by alfazett | 2008-05-06 09:58
![]() 3年前に鉢から庭に移したエビネ蘭。今年も見事に咲きました。一年間待って、満開の期間は10日位。栽培を始めるいと、桜よりいとおしい気持ち人ります。 散歩道 # by alfazett | 2008-05-03 16:16
大きい事はいい事か? ランダムトーク:散歩道
Weblog / 2007年10月17日 随分前の事になるが、日産自動車が新車の宣伝に “隣の車が小さく見えまーす” と言うキャッチフレーズを使って大いに享けた事があった。同じコストで少しでも大きく見せる事が必要だった時代のことだ。今は事情が変わって、こじんまりした車のほうが使いやすい状況となり、見栄で大きな車を買おう人はいなくなった。 動物の世界も、人間を含めて、大きいと力が強く有利に見えた。 しかし、権勢を誇ったマンモスの蔭で小さくなって生きてきた人間は、今や地球を独占しているように見える。しかし、再びしかしである。現在、地球上で見ることが出来る大きな動物として、鯨とか,ゾウ等が存在する。一方小さい動物は、“虫眼鏡”等をはじめ、技術の発達に伴い、小さい動物、昆虫その他、今まで知らなかったような小さい小さい動物の存在と、その巧妙な生き様が次々に紹介されている。人間は生物の中ではかなり大きい方だといえる。先行きどうなるのであろうか? 以上は、動物の大きさに関しての考察であるが、次に、人間が作っている社会組織、つまり、国家、会社を始め諸種の集団組織の大きさに関しての考察をして見たい。 目に付くわかり易い例として、流通機構の肥大化がある。ヤマダ電機の派遣社員の利用など、大きな組織になるとやりたい方だという現象が起こる。社会的に糾弾される現象は氷山の一角だから、実際は、もっと大きなやりたい放題が続いていると考えてよい。食品に関しても同じ現象が起きている。伊勢の有名な赤福なども有名になって何をやっても大量販売が可能になったので、やりたい放題のインチキをやって反省もしない。 以上身近な例として、組織が大きくなると、大きな権力を持つ事が出来ると言う事を観察した。もっと、わかりやすい例は国家と言う大きな組織だ。卑近な例では、日本と言う国家が、 漸く一人前になる頃の、徳川、明治の時代における国家組織の責任者には、世界に恥じない国家を民衆とともに作りたいと言う大きな責任感を持つ人物が、国家の責任者になった。ところが、そこそこに大きくなって経済的にもいい線まで大きくなると、その権力の上に立って、国民から税金を矢鱈に取るだけでなく、それを横領して知らん顔と言うやりたい放題の現象がまかり通ってしまう。 大きい事はいいことではない。どうしたら、小さい、そして、独自の特徴を持った多数の平和な集団という仕組みが出来ないものかと思う。散歩道071017 # by alfazett | 2008-05-01 11:53
![]() 発行所:岩波書店 発行者:山口昭男 2007年2月15日20版発行 定価:780円 先に狸吉さんが上記の著者の「日本語の源流をもとめて」の書感を寄稿された。非常に興味をそそられて、ほぼ同じ内容であるが、上記の本を購入した。 なるべく補足的な別の角度からの感想を述べるとします。私は、前々から中国から文字が伝わり、それに仮名を旨く組み合わせて日本語が出来たと言う話に一つの疑問をもっていた。何故、文法的言葉の配列と発音は中国語と全く違うのか? 言葉の順序は中国語は英語と全く同じであり、韓国と日本は韓国語とかなり似ているのが不思議であった。この本は、そのような日本語の起源を専門技術的に解明しているので、その解明の手法に私は興味を覚えた。 人間の情報伝達の始めは身ぶりと声であって、文字はその次の段階であると思う。そこで、中国から文字が伝わる前に日本人はどの様な言葉を使っていたかと言う考察がはじまる。 この本は“似ている言葉”と言うことを専門技術的に究明し、日本語の親はタミル語になると言う探索の手法を綿密に客観的に記述している。ここではとても全部は紹介できないが、ごく一部の例を紹介したい。 探索法の例:英語とドイツ語は元は一つか? day:Tag dale:Tal deed:Tat drink:trinken bed:Bett などなどの対応からd→Tにするとはぼ全部いっせいに一致する。それはどこかで、誰かがdとTを違って使い始めてのだから、むしろ元は同じと判断する。これが比較言語学という学問の考え方である。日本語と英語にはこんな類似が何処にも無い。 探索法の例:次に例として、日本語:宮古島の言葉:タミル語の比較がたくさん表示されている。 東京の日本語:宮古島の日本語:タミル語の発音比較表 ha(歯):pa:pal hata(旗):pat-a:pat-am hate(果て):pat-i :pat-u fune(船):puni :punai などなど、誠に興味深い類似点の観察法である。そのほか、地形とか考古学的な器とか、そのた多角的に観察して、一つの結論を仮説として発表している。 ほんの一部だけを紹介しました。2007.11.30.散歩道 # by alfazett | 2008-05-01 11:50
![]() 著者:前田高行 京都大学法学部卒、宇部興産、アラビヤ石油、JETROリヤド事務所長発行者:佐藤隆信 発行所:新潮社 価格:¥680 単なる成金の話と思いながら、ひょっと手にとって見て驚いた。縁が遠いように思っていた中東の情勢を理解するのに役に立つことがたくさん書いてある。 中東には世界の石油と天然ガスの半分が眠っている。その量を仮に現在の石油価格で換算すると,1京3千兆円になる。10兆円と言われている徳川埋蔵金の比ではない。 1970年代に二度のオイルショックで産油国には莫大な富が転がりこみ、にわか成金がその富を乱費した。その背後で、御用商人が暗躍したが、その一人が英国のダイアナ姫の婚約者と言われパリで交通事故死したドディ/アルファイドの父親はその様な政商の一人であり、オサマ・ビンラディンもサウド家の」御用商人としてビンラディン財閥を築いたのである。 以上のような書き出しを読み始めて、これは大変なことが書いてあり、現在の中東の情勢を理解するのに是非読まねばと思って読み始めた次第。ここでは、ごく一部のみを紹介するのがせいいっぱいである。 第二章は世界一多忙なドバイのCEOと題してペルシャ湾に面するアラブ首長国連邦の一つドバイの建設ブームのことが書かれている。建設中の世界一のビル「ブルジェ・ドバイ」は、台湾の国際金融大楼508メートルを追い抜き、」800「メートル以上に向かって建設中とのこと。海上には巨大な埋め立て地が建設中で、サッカーのベッカム選手もその一角の別荘を購入しているとのこと。10億から50億で売り買いされているようだ。 ブームに浮かれるドバイも、それはたかだかここ数拾年のことで20世紀前半まではペルシャ湾沿岸のどこにでもある寒村の一つだった。代々のドバイの統治者はマクトーム家で、800人の仲間を連れてここに移住してきて真珠採りと、海賊で富を蓄えた。海賊といってもこのころはアブダビなど現在の国の殆どが皆海賊をやっていたというから、このころは皆海賊をやっていたということらしい。 20世紀初めに日本の御木本幸吉が養殖真珠を」はじめ、日本から遠く離れたペルシャ湾の天然真珠も消えていった。一方、海賊を滅ぼしたのは英国の商船隊である。世界貿易を独占していた英国は近代兵器を使ってしらみつぶしにペルシャ湾沿いの土侯達を攻撃して、これらの国を英国の保護領とした。 第二章まででも、これまで知らないことばかりが出てきて、とても全部の感想を書くことはできない。ぜひ、精読される事をお勧めしたい。2008.3.5. 散歩道 # by alfazett | 2008-05-01 11:46
発行者:松村邦彦 編者:,主婦の友社 発行年月日:平成11年4月平成16年5月第五版 定価」:1600円誰でも知っていて、意外とその内容は知られていないのが、茶道である。女性の稽古事的なイメージもあるが、戦国時代の信長、秀吉、江戸時代の大名、町人、そして明治、大正の財閥という時代の先端を行く人達に支えられてきた文化であった。 必要があって、茶道を、取りあえず頭で知ろうと思い立ち、複数の本の中から、どうやら分かり易く、中立の立場で書かれていると思える本書選んでみた。 まず最初に書かれていて、おやそうか!と思うのが、点前は茶の湯のごく一部という記述である。かなりの人が茶道とは、お茶を礼儀正しく飲む会と思っている。本式の”茶事”では、数人のお客様を約4時間もかけて懐石、濃茶、薄茶がふるまわれるのが正式な形であることが紹介されている。次第に大衆に普及するために、”大寄せ茶会”の形式が発達し、百人前後の人たちがいっぺんにそれなりの形式の中で、お茶の雰囲気と味を楽しむようになった。そのあたりのことが分かりやすく記述されている。 大寄せ茶会の流れという題目で、茶会のときのお茶えを提供する側、”亭主”と、お客、それぞれの動きについて分かり易い表が書かれていて、初めて茶会に参加しても何をするかがよく理解できそうだ。 茶会で使われる道具として、掛け軸、花入れ、釜、茶器、茶杓 などについて分かり易く説明されている。また、お茶の味を引き立たせる為になくてはならぬ、お菓子の種類とその頂き方も丁寧に記述されていて、茶の会で安心出来そうな気がする。服装に関しても正式なものから、略式まで懇切に解説してある。 はじめての茶会タブー集も役たちそうだ。殆ど常識で何とかなりそうだが、時計やアクセサリーを付けいない、道具を拝見するときには高く持ち上げない等は、この本で初めて知った。茶道を知るための参考として読んで損はない本だと思う。散歩道 # by alfazett | 2008-05-01 11:35
![]() 著者:黒木貞彦 発行者:増田義和 発行所:実業の日本 定価:¥1400。 ISBS4-408-10643-7 題目からは会社買収に関する経済の儲け話が書いてあるかと間違われるかも知れない。しかし、この本はコツコツと経営してきた創業者社長が、晩年近くになって後継者がいない悩みの解決への考え方を懇切丁寧に解説したなかなかの本でる。 今は旨く経営されていても、社長たるものは60歳になったら、自分は早めに引退し、会社の継承か廃業を決断すべきと説いている。 一番問題がない継承は、経営の感覚を持った子供に継承することだ。しかし子供の経営能力にたいしての甘い期待で失敗した事例は腐るあるのだ。 この本は、そのような場合にM&A手法により合理的に処理する方法を懇切丁寧に解説している。 日本ではまだまだ、第三者への企業売却は進んでいない。しかし、現代の資本主義社会では、そのいい面を利用してM&A 手法を適切に利用すべきだと思う。会社の価値の考え方、売り方、売却後の社員の雇用、取引先はの影響、相続税などなど、売却に関しての詳しい経理上の考え方が分かり易く書いてある。 売却の決心をしたときの考え方も苦労した人でなければ分からないようなことまで、懇切丁寧に記述されている。創業者社長には勿論であるが、経営に直接関係ない一般の方にも人生の考え方の参考になる本として購読されることをお勧めしたい。散歩道 # by alfazett | 2008-05-01 11:32
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